RIETI - 現代女性の労働・結婚・子育て
女性がいきいきと働くためにいかなる施策が必要か
日本の将来は少子化の進行により、確実に労働力不足の時代を迎える。労働力不足を補うための政策としていくつかの案が考えられる。第1に、外国人労働力(すなわち移民)を導入する。第2に、高齢者の労働からの引退年齢を引き延ばす。第3に、女性の労働力を現在以上に活用する。
もとより、労働力不足を心配する必要はない、という意見もある。なぜなら、もう高度成長を求める時代ではないとか、人口が減少すれば1人当たりに換算すれば経済的な豊かさを維持できる、という理由もあり得る。
本書の基本的なスタンスは、女性がこれまで以上に労働力として活躍することが望ましいとするものである。それには以下のような理由がある。第1に、少なくとも経済成長率が負になることは避けたいが、女性がある程度これまで以上に労働参加しないと、ゼロ成長率以下に陥る可能性がある。第2に、女性の教育水準が高まっているにもかかわらず、高い人的資本と技能水準を蓄積している女性を活用しないのは、社会的に人的資源のロスとも言える。第3に、世界の先進国の多くでは男女がともに働き、かつ男女共同参画社会はごく当たり前のこととなっており、日本もその方向に進むのが自然である。第4に、離婚率や未婚率の上昇に伴い家族の変容が激しいが、女性が単身の時の経済不安定を招くことがある。女性は勤労してい� �方が、夫の死亡や離婚によって働きたいと希望した時、労働条件の悪い職しかないという不幸を回避できる。
女性が現在以上に労働参加し、かつその潜在能力を今以上に活用するにはどうすればよいか、というのが本書の中心課題である。これまでの日本では、女性の活用はうまくいっていなかったし、女性にはさまざまな壁が存在していたというのが、本書の執筆者全員の共通認識である。それゆえ本書ではその壁を取り除いて、女性に気持ちよく、かつ効率的に働いてもらうための手段を議論し、かつそれに向けた政策提言を行うものである。
女性労働に関して言えば、わが国においても研究の蓄積はある。すなわち、1)なぜ女性の労働参加率が男性のそれより低いのか、2)女性が結婚・出産を機に一度退職するのはなぜか、3)子育てが一段落してから再び働き始めるのはなぜか、4)女性が企業や官庁で昇進しない理由は何か、等々に関して相当なことがわかっている。本書ではこれら既にわかっている要因に加えて、必ずしも今まで明らかにされていない新しい事実や要因を追求することに努めた。
それでは、具体的にどのような分野において、この本が新しいことを探求しているかを簡潔に述べておこう。
(1) 女性の学校教育における内容とその後の就業がうまく連係しているか
(2) 母親が子供の教育に果たす役割と就業との関係
(3) 大卒女性に特有な事情があるのかどうか
(4) 子育ての方法において日本は特殊かどうか
(5) 男性が子育てに果たす役割の重要性について
(6) 未婚者・離婚経験者と既婚者の間に差があるか
(7) 女性が非正規社員として勤務する方策はキャリア形成に役立つかどうか
(8) 男性と女性が職場を同一することによって生産の効率性は高まるか
といった点である。
"私たちが恐れていることではありません。"
なぜここで述べた事柄が重要であるかを記述しておこう。学校教育は人としての基礎的な教養を教えることが基本的な目的であるが、卒業後の就労に役立つことを教えることにも期待が集まる。女性に関して言えば、男女の性別役割分担(すなわち女性は家事、育児に特化)が明確であった時代であれば、必ずしも卒業後の就職を念頭においた教育がノルム(規範)ではなかった。しかし、女性の就業意識が高まり、かつ性別役割分担の意識が弱まりつつある現代では、学校教育の段階から就業に役立つ科目の教育ということが重要となる。学校教育をそのままにしたままで、女性が就職先を見つけたり職業人として能力を発揮するには無理がある。
教育は小・中・高・大を合計すれば、16年を必要とする。教師の養成まで含めれば、数十年にわたる長期的な戦略に基づいて制度の変更が行われねばならない。今の時点で女性に対する学校教育の改革を行わないと、日本は女性の活用策において大きな遅れをみるかもしれない。それを避けるために役立つ資料として本書の存在意義がある。
これに関して子どもの教育における母親の役割に格別の注意を払う。子どもの教育達成において、母親が働くか働かないかということは、相当大きな影響力のあることが本書で明らかにされるのであるが、このことは女性に難しい決断を要求することになる。具体的に言えば、もし子どもの教育に熱心にあたりたいと思う母親は、あえて就労を選択しない方がよいかもしれない。この場合には有能で生産性の高い女性を労働市場で失うことにつながるかもしれない。このような深刻な選択問題を扱うことは価値がある。
結婚・出産という事象は女性にとって非常に大きなインパクトがある。そのとき労働を続けるか、それとも家庭に入るか、という選択をどのようにしてきたかといった研究は多かったし、実際かなりのことがわかっている。本書での関心は、このことが日本に特殊な要因と関係があるのか、国際比較上から見て日本の子育て支援政策の現状は他国に学ぶべき点があるのかどうか、ということにある。さらに、現代では未婚者、離婚経験者の増加という時代に入っているため、既婚女性の労働供給行動を知るだけでは女性全員のことをカバーできない。女性の婚姻形態の差に注目することが必要である。
これらは家族のあり方とも直接関係がある。本書ではそのことに関して、新しい分野に一歩入って、男性の子育て参加に大きな関心を払う。日本では男性の子育て参加は、ほとんどなかったといっても過言ではない。男性が子育てに参加することになれば、女性の労働力参加への影響力は果てしなく大きいので、本書の中でなされた男性の育児参加の章に注目してほしい。もとより男性の育児参加の達成には高い壁があるので、すぐにそれを成就できないことは明らかであるが、そのためのスタートとしての価値が本書にはある。
次の関心は大卒女性である。これまで女性労働の分野で大卒女性に限定した分析はさほどなかった。ところで、女性にとって大学を卒業するということはさまざまな意味を有する。
第1に、高い人的資本や技能を習得するので、労働する身になれば比較的高い賃金の職に就ける。このことは職業人として働きたい意欲を高める。
第2に、ただし、女性はまだ職業に役立つ科目を専攻する人ばかりではないので、大学で何を勉強したかの差は大きい。
第3に、大学や職場で接する男性に比較的高い技能を持った人が多いので、彼女たちの結婚相手の男性は比較的高い所得を得ている。これは結婚後の家計所得が比較的高いことを意味するので、専業主婦になることを希望することが可能である。
第4に、大卒女性は技能レベルが高いだけに、結婚や出産で一時期労働を中断すれば、持っている熟練を失うスピードが速い。すなわち、一時期の労働中断は大卒女性にとってコストが大きい。
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第5に、企業において大卒男性と大卒女性の間にキャリア形成に差があるかどうか、関心が持たれる点である。
なぜこのようなことを述べたかといえば、大卒女性というのはさまざまな資質と動機を持っている人から成るので、働くということに関して言えば、意外と予測が困難なのである。たとえば、中卒や高卒の女性よりも意外と専業主婦志向が強いし、短大卒に関してもそれが言えそうである。
本書では2つの章で、これら予測の難しい大卒女性に注目して、彼女たちが現実にどのような行動をとっているかを分析する。特に、結婚・出産後の行動や、就いていた職業や職務の差、そしてキャリア形成の差に注目する。さらに、大卒女性をどのように採用し、かつどのように働いてもらえればよいのか、実は困惑している企業側から見た労働需要の影響力についても詳しく分析する。
次に、男女共同参画と経済成長との関係、子育て支援策の効果について述べておこう。経済学は効率性と公平性を中心の課題として扱うが、女性が男性と同様に労働力として参加することは、経済効率性(すなわち経済成長率)を高めるか、という興味津々の話題に注目する。経済成長論は経済学の一分野として重要な地位を占めているが、女性が労働することが経済成長にどのような効果を及ぼすかということに関して、ほとんど分析がない。そこで本書ではそれを補うための分析を行う。さらに、女性(特に既婚女性)が労働するということは、さまざまな子育て支援策を必要とするが、その支援策にかかる費用と経済成長率との関係にも注目する。
その前に重要な事実を認識しておく必要がある。それは本書のいくつかの章で明らかにされるように、日本の子育て支援策は質量ともにヨーロッパ諸国と比較して劣っているということである。福祉国家を基本とするヨーロッパでは、育児休業制度や育児中の所得保障等の分野において、日本よりも高いサービスの提供がある。
ところで本書の論文では、男性だけが働く社会よりも、女性も職場を同一にして働く社会の方が、効率性(すなわち経済成長率)が高くなることが経済学分析の手法を用いて論理的に示される。いわば男女が共同で働くことが望ましいということである。しかし、ともに働く夫婦が子どもを持ったときに、子育て支援策が必要とならざるを得ない。当然のことながら、子育て支援策には費用がかかるので、この費用を誰かが負担せねばならない。この負担が大きくなりすぎると、かえって経済効率性にとってマイナスに作用することが発生する。ここで興味深い推論が可能となる。先ほど日本は子育て支援策が極めて不十分であるとしたが、これは意外と経済成長率を高めることに貢献していたかもしれない、との推論である。この推 論が正しいかどうかの検証は別の稿を待たねばならないが、少なくともすべての女性に広範囲の子育て支援策を施せば、経済効率性は低くなるかもしれない。
そこでどの女性に子育て支援策を実行するかという選択が迫られることになる。現時点でわかっていることは、生産能力の高い女性に集中的に子育て支援策を実行するという、いわば戦略的な政策が望ましいということである。ただ、この政策は公平性と矛盾する可能性がある。すなわち、有能で生産性の高い女性(たとえば大卒女性か?)だけに子育て支援策を実施すれば、すべての女性に支援策を実行するといった公平性の原理からは大きく離反することになる。したがって、公平性の観点からは戦略的な政策はすべての人の納得を受けられない。
ここで述べたことは、経済学における永遠の課題、すなわち効率性と公平性のトレード・オフを、男女共同参画社会と子育て支援策を例にして議論したことになる。女性活用策を巡っては、経済学の出番が多いことがわかるが、本書がそれの理解への一歩となれば幸いである。
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では、すべての女性に子育て支援策が普及しないのであれば、一部の女性はフルタイム労働を選択せず、子育てや家事も同時に行えるパートタイム労働を選択することになりかねない。それが現代の日本における既婚女性に、パートタイム、派遣労働、契約社員といったような、いわゆる非正規労働者が非常に多くなっている理由の1つである。
このような人の労働条件は一般的に言って良好ではない。しかも、職業人としてのキャリア形成も十分に進行しない可能性が高い。このことを確かめるために、非正規労働者とキャリアの関係を調査した分析を行う。そして、その女性たちの雇用管理政策がうまくいっているかどうかを吟味する。
ここで本書の各章を簡単に要約しておこう。
序章の橘木俊詔論文は、この本全体をカバーできるように、女性が直面するさまざまな諸問題を、広範囲にわたって議論する。特に、女性の労働市場がなぜ男性のそれと大きく異なるのか、女性の意識、女性への差別、教育の役割、企業の行動、政府の政策、等々に視点を当てて検証する。さらに、過去の日本と現在の日本との比較、日本と他国との比較を行って、日本の女性がもっと働きやすく感じられるようにするには、どのような政策があるかを議論している。この章は本書全体へのイントロダクションと言えるものとなっている。
第1章の木村涼子論文は、日本の学校教育が人材の供給源として役立ってきたかどうかを、特に女性に関して分析する。女性がいずれは家庭に入ることを前提とした時代と比較して、女性が職業人として社会で勤労する時代になれば、女性の学校教育の内容も大きく変化せねばならないという問題意識がある。このために女性が高校、短大、大学で専攻する科目の特色、教育費の役割、就職した時の職務や産業、なぜ働きたいのかといった意識、フルタイムかパートタイムかという選択、賃金の効果、等々に注目して議論する。今後の女性教育を語るうえで重要な章である。
第2章の本田由紀論文は、母親が子どもの教育に与える効果について新しい視点を提供した分析である。子どもの教育達成において親の役割は重要であるが、特に母親が働いているかいないかの差は大きいかもしれないという問題意識である。もし働く母親の存在が、子どもの教育達成に悪影響があるのなら、働く母親の子どもが不利にならないように、公的な支援が必要となる。本章はこれに対して1つの解答を示しており、日本の階層分化、教育の役割、女性の子育て支援、といった大きな課題に取り組んだ刺激に満ちたものである。
第3章の白波瀬佐和子論文は、日本を中心において、女性の労働、出生率、結婚・離婚、子育て支援策、といった種々の話題に関して、他の先進諸国との比較を徹底的に行うものである。性別役割分担の意識が強い国と弱い国の差、政府や企業が子育て支援策をどの程度行っているか、男性の意識と行動、といったことが、日本を含めた先進諸国において、先に述べた諸変数の動向に大きな影響を与えていることを明らかにし、日本における望ましい制度改革が述べられている。
第4章の松田茂樹論文は、男性の家事・育児参加というテーマに絞って分析を行い、男性がそれに参加することを求めている。そのためには種々の制度改革が必要であるが、松田はそれが日本でなかなか進行しない原因を実証している。男性の意識改革がもっとも重要であるが、制度や風習面において、日本の男性の働き過ぎがそれを阻害する要因であると主張する。日本社会の全体として男性の過剰労働を防ぐ方策が肝心ということになる。
第5章の横山由紀子論文は、20代と30代の女性に注目して、結婚の状況が就業にどのような影響を与えているかを分析する。具体的には、未婚者、既婚者、離婚者の間で就業行動に差があるかを分析し、かつ子どもの有無の効果についても注意を払った。これらのことに加えて、専業主婦からの就職と常勤やパートであった女性の再就職において差があるか、そして子どものいる女性であれば子どもの年齢に影響力があるかどうかについても分析を行っている。
第6章の冨田安信論文は、大卒女性におけるキャリア形成と昇進構造を分析する。男女雇用機会均等法が施行されてから20年弱になるが、大卒女性が企業でどのように育成され、昇進していくかに関して言えば、まだまだ大卒男性と比較して不利である。女性特有の事情(たとえば、結婚、出産、労働市場からの一時退出)も影響していることは事実であるが、企業側から見た理由も存在する。本章では女性が男性と比較してどれだけ不利であるかを、労働者と企業の双方から議論して、大卒女性がもっとキャリアを高めかつ昇進も男性並みになる方策を検討する。
第7章の脇坂明・奥井めぐみ論文は大卒女性に関して、結婚・出産・育児によって一度労働市場から退出した人が、再就職するかどうかを分析する。本章の特色は、大卒女性の労働供給の側面ばかりではなく、これらの人を雇用する企業側の労働需要を分析した点にある。夫の所得、正社員か非正社員か、従事していた職種の効果、再就職の年齢、本人の意欲、といったことが、大卒女性の再就職市場にどのように影響を及ぼすかが、細かく分析されている。高度な技能を蓄積した大卒女性は貴重な労働力なので、労使にとって役立つ章である。
第8章の中田大悟・金子能宏論文は、男女が共同して勤労する社会に向かうのがよいのかどうかを、女性支援策との関係で議論する。特に経済成長率を高めるためには、女性労働力を活用する必要性の高いことが内生的経済成長論から示される。しかし、女性をフルに活用するということになれば、子育て支援策などの費用がかかるので、経済効率性にとって意外とマイナスの側面もある。これら負の効果と、女性活用による好影響の兼ね合いをどうすればよいか、政策問題も議論される。
第9章の武石恵美子論文は、女性活用策を巡ってフルタイムのキャリア志向を目指すのがよいのか、それともパートタイム労働でありながらも、キャリア形成をも視野に入れた方式がよいのかを分析する。女性の労働者の多くが、パート、派遣、契約社員といったいわゆる非正規労働に従事しており、労働条件も良くないしキャリアの視点もない。これでは十分に女性労働が活用されているとは言えないので、パート労働でありながらキャリアも視野に入れ、かつ基幹労働力として育成される道があるのではないか、という観点から現状を分析する。さらに、その道を達成するためにいくつかの政策措置も議論する。
以上本書で明らかにされる点をまとめれば、女性の人生にとって難しい選択がいくつかある、ということになる。結婚するのか、子どもをつくるのか、子育ては誰がやるのか、子どもの教育をどうするか、働くのか、働くとしてもフルタイムのキャリア志向か、といったことに代表される選択である。本書では、日本の女性がこれらの課題にいかに取り組んできたかを明らかにし、かつ女性は働く方がよいとする本書の執筆者全員の合意に沿って、男性、企業、社会がそれにどう対応すればよいかの政策を検討することになる。
このために経済学、社会学、教育学、労使関係論の専門家をフルに動員して、学際的な分析を行うことが、本書の大きな特色である。これら幅広い見地からの学際的なアプローチが、日本の女性が気持ちよく働けて、効率の高い貢献を社会・経済に行い、かつ有意義な人生を送れるための手助けになることを期待するものである。
2005年10月
橘木 俊詔
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