「選択のパラドックスについて」バリー・シュワルツ | VISUALECTURE
SPEAKER:バリー・シュワルツ 心理学者バリー・シュワルツが、選択の自由という西欧社会の根幹をなす教義に狙いを定めます。シュワルツの推定によると、選択は我々を更に自由にではなくより無力に、もっと幸せにではなくより不満足にしています。 19:40 日本語字幕 TED2005 |
全文
私自身の著書にあることについてお話します 既にどこかで聞いた事あるような他のことと共鳴するでしょう しかしそうでない方のために、私が関連付けながら話していきます まずは私が「公式教義」と呼ぶことから始めたいと思います 何の公式教義なのか? 西欧の産業社会全ての公式教義です その公式教義はこんな具合にいきます もし我々が自らの市民の繁栄を最大限にすることに興味があるのなら その方法は個人の自由を最大限にすることである その理由はひとつは自由そのものがいいことである、 貴重で、価値があり、人であることの根幹をなしているから 更に、もし人に自由が与えられれば、 一人一人が個人に基づいて行動できる 我々自身の繁栄を最大限にするように行動し、 他の誰も我々のために決断をしないで済みます 自由を最大限にするには、選択を最大限与える事である
選択が多ければ、その分自由度は増し、 自由度が増せば、 その分繁栄する
この考えが、私が思うに、あまりにも深く浸透しているため 誰もこれに異議を唱えようとすら思わないのです またこれは我々の人生にも深く埋め込まれています 近代の発展が我々に可能にしてくれたもののいくつかの例を出しましょう これが私のスーパーです。それほど大きくはない サラダ・ドレッシングについて一言 私のスーパーには175種のドレッシングがあって それに加えて10種のエキストラバージンオリーブオイルと 12種のバルサミコ酢があります もしここに既にある175のドレッシングの中で 気に入ったのがなかった時に自分で作れるように まあ、このスーパーはこんな感じです で、次に電気機器店にステレオシステムを作るために行って スピーカー、CDプレーヤー、テープデッキ、チューナー、アンプなど それでこの電気機器店1店舗の中に 上のスーパーと同じ数くらいのステレオシステムがある 1店舗の中にある部品を組み合わせていくだけで、650万種もの ステレオシステムが組み立てられるのです
これは莫大な数の選択肢だと認めざるを得ませんね 他の分野では、コミュニケーションの世界 私が子供だった頃は、 マーベル社からでさえあれば、どんな電話サービスでも 受ける事ができる時代がありました 電話は買うものではなく借りるものでした その影響のひとつとして、電話が壊れる事がない、ということがありました そんな日々も今は昔 我々の前には、特に携帯電話の世界においては、 無尽蔵の選択肢が用意されています これらは携帯電話の未来の形です 私のお気に入りは真ん中の、 MP3プレーヤー、鼻毛切り、クレームブリュレバーナーが一体化してるもの もしお近くの店舗でまだ見かけていなかったとしても大丈夫 近日中にお目にかかれますよ これが何をもたらすかというと 人々が店に来る際、ある質問が既に問われています その質問の答えを今知りたいですか? 答えはNoです 機能が多すぎる携帯電話を買わないでいられることはできません
ケリーの名前は何を意味するのでしょうか?さて、購買活動以上に重要な人生の他の局面においても 同じような選択の爆発が起こっています 医療について、米国では既に皆さんが医者のところに行って 医者がどうすればいいか教えてくれるという段階ではなくなりました その代わりに、皆さんが医者に行き、 医者から、まあ、Aをすることができるし、Bをする事もできる、と言われる Aにはこのような効果とリスクがあって Bにはこのような効果とリスクがある。あなたはどうしたいですか?と聞かれる そこであなたは「先生、私はどうしたらいいでしょう?」と聞くと 医者はAにはこのような効果とリスクが、Bにはこのような効果とリスクがあります あなたはどうしたいですか? そこであなたは「先生が私だったらどうしますか?」と聞いてみる すると医者は「でも私はあなたではありません」と言う そして結論、我々はこれを「患者の自己決定権」と呼ぶのです このような言い方をするととてもいい事のように聞こえます でも本当は何が起こっているのかと言うと、決断権の重荷と責任を それについて何らかの知識のある者から この場合は医者から 何も知らず、少なくともとても具合が悪いので 判断をくだすのに必ずしも最適ではない者、 患者に委ねてしまっている
処方箋薬の市場において、私やあなたのような消費者に対して 莫大なマーケティング活動が行われてますが よくよく考えてみるとこれは全く意味のない事で 我々に買う事はできないのですから 我々が購入することができないものをなぜマーケットするのか? その答えは我々が翌朝かかりつけの医者に電話をして 処方箋を変える指示を出す事を望んでいるのです この状況が陥っている意味は 私達の個性というドラマチックなものでさえ 選択できることに成っているのです 我々は個性を受け継ぐのではなく、発明できる そして好きなだけ自分を再発明することができる それが意味するところは毎朝目が覚めた時に 自分がどんな人になりたいのか決断をくださなくてはならない 結婚や家族に関しては、 以前には、みんなが持つ共通認識として、 できるだけ早く結婚をして、 できるだけ早く子づくりをするということがありました 本当の選択は誰とするかであって、 いつするのかや、その後どうするかではありませんでした
現在では、全てのものがどうにでもなってしまっています 私は素晴らしく知性にあふれた学生達を教えていますが 以前と比べて20%くらい少ない課題を与えています それは学生達の頭が悪くなっているからではなく、 熱心でなくなったからでもありません それは学生達が他のことで頭がいっぱいだからです 「結婚をするべきか否か?今結婚をするべきか? 結婚を遅らせるべきか?子供が先か、キャリアが先か?」 これらは圧倒的な質問です そして学生達は、私の出した課題を全て やり遂げるかどうか、いい成績をとるかどうかに関わらず これらの質問の答を出していくのです そしてそうすべきなのです。これらはとても重要な質問ですから カールが指摘したように、仕事に関して、我々は恵まれています 世界中のどこにいても、一日のどの時間でも 仕事をすることを可能にするテクノロジーがあるからです ランドルフ・ホテルを除いてね
(笑)
なぜwoildで一番クールな人ですそれはそうと、1か所だけ 無線が通じる秘密のところがあるんですよ 私が使いたいから誰にも言いません これが意味するところは、仕事に関して我々に与えられている 素晴らしい選択の自由ということですが、私達は常に 何度も何度も何度も仕事をすべきか否かの 決断を下さなくてはならない 子供のサッカーの試合を見に行って 腰に携帯電話を装着し、 反対側にはモバイル端末を取り付けて 膝の上にノートパソコンを開いている それらが全て電源が落とされていたとしても 私達の子供がサッカーの試合をむちゃくちゃにしている間中、 常に自問自答をしているのです 「この電話にでるべきだろうか? このメールの返事は?レポートのドラフトは?」 そしてそれらの答えが例え全てNoであったとしても 自問自答がなかった時とは、子供のサッカーの試合を見ると言う経験を とても違ったものにしてしまっています 周りを見回してみると、 大きなことも小さなことも、物質的なことも生活に関わることも 人生の全てが選択に集約されています 我々が以前生きていた世界はこのようなものでした というのは、いくつかの選択はありましたが、 全ての物事が選択ということではなかった 我々が今生きている世界はこんな感じです ここで出てくる問いは、これはいいニュースか、悪いニュースか? その答えはYesです
(笑)
我々はみんな良さについては知っています ですので私は悪い面について話したいと思います これら全ての選択には二つの効果があります 二つの悪い効果です 一つは、矛盾しているのですが これが開放感ではなく無力感を生むということです あまりにも多くの選択肢を前にすると、 人は選択が非常に難しくなってしまいます これの非常にいい例をひとつ出しましょう 定年後の年金投資計画に関する研究で、私の同僚が ヴァンガードという巨大な投資信託会社から、 約2000か所の職場に渡る、 約100万人の社員の情報を手に入れたのです 彼女が調べたところによると、 会社が提示する投資信託が10件上がるごとに 参加率が2パーセント落ちたという結果が出たのです 50件の投資信託を提示すると、5件提示した時と比べて 10%少ない社員が参加する。何故でしょう? それは、50件もの投資信託が提示されると、 どれを選べばいいのか決めるのが難しくなり 後回しにしてしまうのです それで、一日一日と延ばしていき、 それがどんどん積み重なって 結局決断を下す事はなくなるのです 理解しなくてはならないのは、これが人々が 引退した時資金不足に陥り、ドッグフードを食べざるを得ない 状況に陥るということ意味するだけでなく、 決断を下す事があまりにも難しいので 会社から受け取る権利のある資金を放棄してしまっているということです 彼等は参加しないことによって、年間5000ドルもの資金を 会社が喜んで提供する資金を受ける権利を放棄してしまうのです この無力感は選択が多すぎることに起因しています そして世界をこのようにしてしまう
(笑)
今後無限に影響を及ぼす決断は正しく下したいですよね? 間違った投資信託や、ましてや間違ったドレッシングを選びたくはない という、これが一つの影響です。二つ目の影響は このような無力感に打ち勝って決断を下したとしても、 選択肢が少なかった時と比べて、決断の結果に対して 得られる満足度は低いということです これにはいくつかの理由があります ひとつは、ドレッシングの選択肢がたくさんあると、 一つ買ってそれが完璧ではなかった時、完璧であった試しがありましたか? もっといいものを選べたはずなのに、と想像することは いとも容易いことです。そこで何が起こるかというと この取らなかった選択肢が、自分の決断を後悔させることになり、 この後悔が下した決断の満足度から差し引かれていくのです 例えそれがとてもいい決断だったとしても 選択肢が増えれば増える程、自分が選んだオプションに対し、 不満を感じやすいことになります
私はコオロギのパドルを作るの輪郭を持つことができます二つ目は、経済学者が機会費用と呼ぶものです 今朝、ダン・ギルバート氏が、我々の価値判断には それに比較対象されるものに影響されると言う点を その講演の中で語っておられました 多くの選択肢を検討しなくてはならないと、 選ばなかった選択肢の良いところを 想像し、選んだ選択肢に その分不満を持つ度合いが多くなることは容易く想像できます ここに一つの例があります。ニューヨーク出身の方には予めお詫び申し上げます
(笑)
このように考えてください ここにハンプトンズのカップルがいます 不動産価格がとても高く 素晴らしい浜辺があって、素晴らしい日です。彼等は全てを手に入れてる もっといい事はあるのでしょうか?「ええい、くそっ」 この男性は思ってます。「今は八月で 私のマンハッタンの隣人達はみんなどこかに出かけている だからマンションの目の前の駐車場がゲットできるじゃないか」 そして2週間、素晴らしい駐車場を逃している という考えに、毎日毎日捕われているのです 機会費用は、我々の選択が例えどんなに良いものであっても、その満足度から 差し引かれていくのです だから選択肢が多ければ多い程、また それらが魅力的であればあるほど、 それらは機会費用として我々に跳ね返ってくるのです もう一つの例を挙げましょう この漫画は多くの点を示しています ひとつは、今を生きるという点、また ゆっくりと時間をかけてやるということ でも一つあげるとしたら、どれか一つのことを選んだとしたら 他の事をやらないことを選んだということでもある そしてその他のことはたくさんの魅力的なことがあるかもしれない それが今自分がやっていることをそれだけ魅力的でなくしている
三つ目は期待値の増大です これはジーパンを買い換えに行った時に気がついたのですが 私はいつもジーパンを履いてます 以前はジーパンは一種類しかなく それを購入して、全然体にあってなくて 信じられないくらい着心地も悪くて、 でも長い事履いて何度も洗うことによって なんとなく良くなっていった そこで何年も何年も履いていたジーパンを買い替えるために出かけていって 「ジーパンが欲しい。私のサイズはこれです」と言いました すると店員が 「スリムと、ストレートとリラックスとどれにしますか? ボタンフライかジッパーにしますか?ストーンウォッシュ、それともアシッド? ダメージ加工のものにしますか? ブーツカットにするか、テーパードにするかそれともそれとも」と永遠に続く 私は呆れて何も言えなくなってしまったのですが、ほどなくして、 「以前一つしかなかったやつと同じものが欲しい」と言ったのです
(笑)
彼はそれがどんなものか検討もつかなかったので 私はいろいろのジーパンを1時間にも渡り試着して 正直に言うと今までで最高にフィットしたジーパンを手に入れてお店を後にしました これらの多くの選択肢が、私が最高のものを選ぶ事を可能にしてくれました でも気分は最悪でした 何故か?それを自分に説明するために本を1冊書きました 私の気分が最悪だった理由は、 これだけ多くの選択肢が与えられていることで 私にとってのいいジーパンの期待値が上がったからです もともとは全く期待していませんでした 選択肢が一つしかなかった時は全く期待などしていなかったのです それが100に増えてしまったとたんに、 どれかひとつ完璧であるべきだ、と そして私が得たものは良いものだったけど完璧ではない そこで期待していたものと実際のものを比較して 期待していたものと比べて満足度の低いものを得たのでした 人々の生活に選択肢を増やすことは それらの選択肢に対する期待値を増大させることを 余儀なくさせてしまいます そしてそれは結果が例えいいものだったとしても、その満足度を より少なくするということを生み出します マーケティングの世界の誰もこのことを知りません 知っていたとしたら、誰もこれが何の事がわからないでしょうから 真実とはこのようなものです
(笑)
何もかもが良くなかった頃の方が全てがよかった理由とは、 何もかもが良く無かった頃は、 良い意味での驚きをもたらす体験をすることが可能だったからです 今現在、我々裕福な産業国に住んでいる市民がこの世界で生きている限り 期待値が完璧を求めている中で 望みうる最高のことはものが期待通りであったということなのです 良い意味での驚きというものはあり得なくなっている それは我々の期待値が天井知らずになってしまったからなのです 皆さんが今日ここに来た目的、幸せを得る秘密とは、 期待値を低く持つということです
(笑)
(拍手)
ひとつ、個人的な話をします 私は大変素晴らしい女性を 妻としています これ以上はないというくらい。妥協しませんでした でも妥協するというのは必ずしも悪い事ではありません 最後に、きちんとフィットしていないジーパンを買う事の悪影響の一つとして 買うものが一種類しかない場合、 満足していない理由を考えてみて 誰の責任か、答えは明確です この世の中が悪い。あなたに何ができたでしょう? ジーパンの種類が何百もあるとなって、 満足のいかないものを買ってしまった時 誰の責任かと自問自答すると 同じように明確に答えはあなた自身なのです あなたはもっといいものを選べたはずです 何百種類ものジーパンを前にして、 失敗は許されません だから人々が決断を下す時、 またその決断がたとえいいものであったとしても、 それに満足が得られなかったら 自分自身を責めるのです
ここ数10年で産業国において臨床鬱症状が爆発的に増加しました 私は、これだけではありませんが、鬱病や自殺が爆発的に増えた その要因の大部分に、人々の期待値が多きすぎて その結果、経験が不満足なものになってしまっている点に 起因していると思っています そしてそのような体験を自分自身に説明しようとする際、全て 自分の責任だと思ってしまうのです すると総体的な結果として、一般的に、客観的には良い事になっているのに 気持ちは最悪になっています そこで皆さん覚えていてください これが皆が自明のこととして信じている公式教義ですが、 それはみんな嘘っぱち、真実ではないのです 全く選択肢がないよりは多少あった方がいいに決まっています だからといって選択肢は多ければ多いほどいいということにはなりません 私にはわかりませんが、秘密の数値があるのでしょう 私は選択肢の多さが我々に繁栄をもたらすという地点を とっくに通過してしまったと自信を持って言えます
そこで、政策問題として、もう少しで終わりますよ、 政策問題として考えなくてはならないのは次の点です 産業社会において選択肢を与えているものは物質的な豊かさです この世の中には、選択肢の多さが問題に なっているのではないところが まだ数多くあることを我々は聞き知っています 彼等の問題は選択肢が少なすぎることです だから私が言っていることは、近代の、豊かな 西欧社会独特の問題なのです そこで非常に不愉快でいらいらさせるのは次の点です スティーブ・レヴィットが昨日皆さんにお話した 高価で取扱が難しいチャイルドシートが何の効果もなくお金の無駄だということ 私が言いたいのは、このような高価で難しい選択肢が 役に立たないだけではない 実際には危害を加えるのです 我々をより悪い方へと導く事になるのです
我々の社会において多くの選択肢を可能にしているものを、選択肢が少なすぎる 社会に移す事ができたとしたら、 選択肢の少なすぎる社会の人たちの生活が向上するだけでなく、 我々の生活も向上するのです これが、経済学者が言うところのパレート改善ということです 収入の再分配は、貧しい人たちだけでなく、全ての人たちを幸せします それは多すぎる選択肢の悩みから解放されるからです 結論として、この漫画を読んだ時、洗練された人として あなたは「この魚が何を知っているのだろう この金魚鉢の中では何も可能性などないことを 知っているでしょうに」と言うべきなのです 創造力の欠如、近視眼的な世界観、 私も初めはそのように解釈していました でも色々考えを進めて行くうちに、 この魚は何事かを知っているかもしれないと思うようになりました それは、究極のところ、 可能性を広げるために金魚鉢を叩き割ってしまったら 得られるのは自由ではなく無力感だからです 可能性を広げるために金魚鉢を叩き割ってしまったら 満足度を低下させてしまいます 無力感を増大させ、満足度を低下させる みんなが金魚鉢を必要としています 今あるものはどうしても限界がある 我々にとってだけでなく、魚にとってさえも でも隠喩的な金魚鉢の欠如は、不幸を作るレシピに過ぎません また、大災害のもとにもなることでしょう ありがとうございました
(拍手)
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