2012年4月10日火曜日

重田兄、私はあなたとともにいる旅人です、吉祥寺集会、喜びのメッセージ集


引用聖句:詩篇39篇12節
12私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。

今読んで頂きました12節の後半のほうですが、ここでダビデは「私はあなたと共にいる旅人。」と言っています。「あなた」とは、もちろん主なる神であります。
このことについて私たちも、実はダビデと同じように主とともにいる旅人です。
その問題について、みことばをひきながら、ご一緒に考えてみたいと思います。

旅人という言葉は、なつかしさを覚える言葉ですね。今はあまり使わなくなりましたが、良い言葉だなと思います。旅をする人。
「旅」という言葉も、この頃余り使� �れなくなりました。代わって「旅行」とこの頃は言われます。しかしながら、旅と、旅行とは、こんなことはうるさいなと思いになるかもしれませんが、やはり違うのじゃないかなと思います。
意味がちょっと違うのじゃないかと。ニュアンスと言いますか。

旅行、旅行と言いますと、修学旅行や、観光旅行や、あるいは温泉旅行。海外旅行。なにか楽しい感じを私たちは受けます。
旅だって同じじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、ある辞書をひきますとね、旅というのをこういう風に定義しているのです。
旅=旅とは、住んでいる所から離れてよその土地へ行くこと。

そういうふうに書いてありました。ちょっと、私もこれを見まして、随分旅行とは違うな。何か気楽な旅行とは違う少し厳しさを感じるの� ��はないかと思うのです。
昔の人は、今の私たちがしている旅行じゃなくて、旅をしていたのです。
住んでいる所から離れてよその土地へ行くということになると、これは相当の覚悟がいるのじゃないかと思います。

昔はよく旅をする前に、水杯をかわして旅に出た。やくざ者みたいですけど、そういうふうな覚悟をして旅に出たのですね。
結局、もしかしたら帰って来れないかもしれない。その可能性もあったのです。
いろんな危険が旅の間あります。旅にでかける方も、見送る方も、それなりの覚悟があったのではないかと思います。

昔は、本当に歩いて、あるいはかごに乗って、馬に乗って旅をしました。いろいろな道があります。平坦な道ばかりではなくて、高い山もあれば険しい谷もありました。
流� �の急な川を渡ることもあるでしょう。たいへんな苦労があったと思います。
途中で病気をしたりけがをしたり、あるいは強盗に遭うような危険もあったことでありましょう。

そういうふうな苦しい目に遭いながら、時には命の危険に遭いながらも、目的に向かってよその土地に向かって一歩一歩進んでいく。
これが、旅であります。しかしながらそういうふうな旅を、私たちは今でもしているのです。
その旅というのは、人生の旅であります。

人生の旅というのはどこで始まるのか、どこで終わるのか。言うまでもなく、人生の旅の始まりは私たちがこの世に生まれた時であります。そして、人生の旅の終わりは私たちが死ぬときであります。
しかしながら、私たちの人生にはこの旅のほかに、もうひとつの旅が� �ります。
それは、天地万物をお造りになり、それらを支配しておられる生けるまことの神様、そしてイエス様に信じ従う信仰者の旅であります。

今読んで頂いた詩篇39篇は、ダビデの作と言われています。
まことの神を主と仰ぎ、主と共に旅をした信仰者であるダビデの詩であります。
そしてこの詩は、先ほど申し上げましたように、イエス様を主として従う私たち信者の旅である、思いであるということも言えると思います。

そこで、これから私たちイエス様を主と信じる信仰者の旅について、いろいろ考えてみたいと思いますが、まずイエス様を主と仰ぐ信仰者の旅はいったいどこから始まるのか。
イエス様を信じる者も信じる前は、この世のほかの人と同じように生まれた時から始まるこの世の人生の旅をし ていました。
けれどもイエス様を信じてからは、私たちの旅は、キリスト者として生まれ変わった時から、新たに始まるのであります。

2012年4月9日月曜日

DESIGN IT! : UX Pioneers:アラン・クーパー氏インタビュー


TA: 異なるユーザーインタフェースを用意するということですね?

AC: そうです。ウィジェット一式を用意しておいて、自分たちで組み合わせて使ってもらうのです。その日自宅に戻ってからプログラムに着手し、頭と手を同時に動かして作りました。これは基本的に、フローティングメニューのことです。そのメニューにはプッシュボタンとリストボックス、チェックボックス、ラジオボタンがあって、それらはすべて Windows のコントロールとして馴染みがあるものでした。

Windows を起動した後、上部の小さなウィジェット [en.wikipedia.org]のパレットが置かれている部分で、メニューボタンの絵をクリックし、それを下のほうにドラッグし、ウィンドウの上でドロップします。すると新しいボタンがウィンドウの中に現れます。そして画面の上部から、今度はテキストボックスをドラッグしてきてウィンドウの上でドロップし、それからボタンの上で右クリックをして、ラバーバンドをテキストボックスまでドラッグしてきて放す。するとプッシュボタンがテキストボックスとつながる。

それからプッシュボタンを押せば、テキストの一部がテキストボックスに送られます。

TA: エンドユーザーのほうがなんとか折り合いをつけて、そういった作業をうまく実行しなければならなかったのですよね?

AC: そうなのです。ワープロを趣味で操作する人など、誰もいませんでした。コンピュータはまだまだ、職場で使うためだけに購入されるものだったのです。

このアイデアは、使う人が自分自身でシェルを視覚的にプログラムできるようになるということを意味していました。当時は OS/2 [en.wikipedia.org] というOSがあって、それが主流でした。OS/2 にはシェルがあったのですが、私が作ったプログラムには、10分程度の操作で OS/2 のシェルを Windows 内に再現できる機能があったのです。

これはすごい機能でした。ドラッグ&ドロップができる Windows アプリケーションは、これが最初でした。私は、何かをドラッグしたときにそれが動いているように見えるようにもしました。Windows の画面上で、まだ誰もアニメーションを見たことがなかった時代です。

出納係であれば、画面上には、自分が日常的に実行する3つのアプリケーションに対応した3つのボタンが与えられます。

中間管理職クラスの人々には、必要な機能をすぐに起動させるためのボタンと、自分がいじっているファイルだけが、小さなディレクトリに提示されます。

アナリストであれば…、そうですね、高度なシステムを開発しているシステムアナアリストであれば、月曜日にはあるユーザーのシェルだったものが、作業を進めるうちに変わっていき、火曜日には全く別のユーザーシェルにできるといった具合です。

TA: コーディングしたことについてずっとお話をされていましたが、今ここで急に、まったく違うやり方で開発した話になりましたね。実はコアとなる要素は、「誰がそのソフトウェアを使うのか」という点にこそあるということを発見されたのでしょうか。

AC: ソフトウェアを実行する人のことについて考え始めたのは、SuperProject でクリティカルパスを扱っていたころからですので、もう少し早かったと思います。何人かに、「プロジェクト管理について、何かご存知のことはありますか?」と尋ね回っていました。

正式なメソッドはなく、ただ日常的に出会う人々に尋ねるだけでしたが、最終的にある広告代理店で業務促進担当をしていたキャシー・リーという女性と話してからは、その後たくさんの仕事を彼女に基づいて進めることになりました。

結果的には、私のプログラムが使えないものだということを発見したのが彼女でしたので、屈辱的な気分も味わいました。つらい経験でした。しかし「キャシーならどうするだろう? ここで何をほしがるだろうか?」と自問したのは正解でした。

これが、ペルソナのアイデアの始まりの始まりでした。キャシー・リーのためにデザインするというミスは犯しましたが、キャシー・リーという人物像の要約のようなものを作り出し、私の頭の中でペルソナとしたのです。

私はプログラマーでもあったので、ユーザーと実際に話をしたくない、ユーザーと話すのは厄介だ、と思っていました。

TA: いろいろなことを考えながら、実際にはコーディングをしていたのですね。

AC: そうです。Tripod という、先ほどお話しした「シェル組み立てセット」プログラムを作ったときも同じでした。それは、バンク・オブ・アメリカで話を聞いたITマネージャのために設計したもので、その時すでに3つのレベルのユーザー(上級アナリスト、中間管理職、高卒の出納係)がいることがわかっていました。

当然、それぞれのレベルがひとつのペルソナになるのです。

TA: それでどうされたのですか?

AC: そのプログラムを売ろうと試みましたが、それは単に、世間にたくさんある製品の1つに過ぎませんでした。素晴らしいソフトウェアですが、それを使って何ができるのかをはっきり示すことが誰にもできなかったのです。その後ロータス社のような大企業も含め、ソフトウェア業界の人々何人かにそのプログラムを見せたところ、「ほおー、これはちゃんとできているソフトウェアだね。一種のシェルとして、マイクロソフトに売り込んだらどうだい?」と言われたのです。

その時点で私はまだ、電話をして「見てほしいものがある」と直接いえるほど、ビル・ゲイツ氏 [en.wikipedia.org]のことを知りませんでした。でもマイクロソフトで仕事をしていた友人は何人かいましたので、彼らに、ビル・ゲイツ氏に会わせてくれるよう頼んだわけです。そうして、ビルの側近の1人から招待を受けることができました。

その人は「こちらにお越しください。あなたが作ったものを私が見てみましょう」と言いました。それで彼に会いにシアトルに行きました。その人の名前は忘れてしまったのですが、そのときカンファレンスルームには彼と私の2人しかいなくて、そこで私が自分のコンピュータを取り出してソフトウェアのデモを始めたわけです。

彼はデモを3分くらい眺めた後に椅子の背もたれに寄りかかり、「ビルがこれを見ないといけないな」とつぶやきました。

TA: いい感じですね。

AC: それからビルと会う時間を設定して、プログラムのデモをしに再びシアトルに行きました。画面上でドラッグのアニメーションを見せたとき、ゲイツ氏は私を見て「これは、いったいどうやっているんだ?」と聞き、Windows 上で動くそのようなアニメーションはかつて一度も見たことがないと話してくれました。「魔法を使っています」と私は言いました。他になんて言えばよかったのでしょう?

私がデモを続けていると、ビルはそこにいた人たちを振り返って、「僕たちこそが、こういうことをやっていないといけないんじゃないか?」と言ったのです。とても嬉しいことでした。

その部屋の中にいた1人、タンディ・トロワー氏 [gatech.edu]は「これを欲しがる人なんているのでしょうか? これが何の役に立つのですか?」と言い、私が彼に売り口上を言おうとして息を吸ったときにビルがまた振り返り、世間の人々がこのプログラムを欲しがる理由を説明し始めたのです。それからビルは私の方を向いて、「これを購入したい。これは、人々がコンピュータを使って仕事をするやり方を変えるだろう」と言ってくれました。

TA: デモをしている人には、何よりも嬉しい言葉ですね。

AC: この上なく嬉しく思いました。そしてビルは、私と私のプログラムを Windows チームのメンバーに引き渡したのです。当時は、ひどい代物でありながらもプレゼンテーションマネージャ [en.wikipedia.org]が主流で、Windows は戦略的に価値のあるソフトウェアだと見なされていませんでした。

TA: これはいつ頃のことでしょうか?

AC: ビルに Tripod のデモをしたのは 1988 年の3月で、マイクロソフト社がまだ IBM と共生関係にあった頃です。先ほど触れたように、私のプログラムでできたことの1つは、OS/2 のプレゼンテーションマネージャを再現することでしたので、政治的な対立が発生しました。私は、マイクロソフトの人々に面と向かって説明したのです。「見てください。私は OS/2 のプレゼンテーションマネージャを今から作りますよ(カチャ、カチャ、カチャ、バーン!)」とね。

もしもあなたが OS/2 の製品管理担当者だったら、激怒するはずです。

TA: マイクロソフトは、そのプログラムを購入したわけですか?

AC: ええ、購入してくれました。ゲイツ氏の言う、これまで見た中で最高の仕様に合わせてコードを拡張し、同じプロジェクト内にいたマイクロソフトの品質監査チームに渡しました。

契約を交わしてすぐに、私たちは Tripod という名称を Ruby に変更しました。なぜなら、私はその製品をすでにロータス社や他の会社に見せてしまっていたからです。これは特に深い意味のないプロジェクト名称でした。いま現在 Ruby [ruby-lang.org] という名の言語が存在していますが、当時の Ruby は、私たちが用いていたコードネームだったのです。

2012年4月7日土曜日

2007年4月 - 難聴者の生活goo hearingrabbit@mail.goo.ne.jp


サンフランシスコの風さんから、難聴者のリハビリテーションについて、ギャローデッド大学のピア・メンター・プログラムを紹介され、その実現の抱負が寄せられた。

ラビット 記
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ラビットさん、
先日のワークショップで、参加者の方が心のリハビリについての重要性についてコメントしていましたね。
今後希望があれば日本でピアメンター講座をやってもいいと思っています。

2012年4月6日金曜日

海外赴任の準備/精神科医の立場からみた子供たちの異文化適応 - 海外赴任・留学・出張ならJCMの「海外いろは」


はじめに

しばしば親は子供の資質について(良い方へ)誤解をしており多くを望み過ぎている。たいていの親は、親ができないことでも子供はできると信じている。たとえば海外への赴任に子供を帯同する場合も、「大人は(現地の)言葉をすぐには話せないけれど子供は難なく覚えて話す」とか「大人は(現地に)馴染みにくいけれど子供はすぐ馴染める」などと考えがちである。しかし、実際には子供にも大人におけると同様にあるいはそれ以上に多くの困難が生じている。子供にとっては大人以上に海外は見知らぬ土地であり、馴染みでない新しいことに対処する方法を大人以上に知らない。

また、海外に滞在すると、特に英語圏に滞在した場合、親も周囲も語学の習得を子供に期待するが、この点にも多くの誤解がある。親は「子供にとっての海外滞在」=「子供は海外という外国語圏にも居住し自宅という日本語圏にも居る」と解釈しがちであるが、実際のところ子供は「外国語圏にも十分には居ない、日本語圏にも十分には居ない」という経験をする可能性があり、外国語を覚えるより先に日本語を忘れるということさえも起こり得る。本稿では精神科医からみた子供たちの海外転地の問題と適応について述べてみたい。

子供たちの側から見た負荷としての海外赴任

ところで精神医学的には、子供にとっての「海外転地」はいくつかの軽度のストレス(心理的負荷)が複合されたものである。現在もっとも一般的な診断基準の1つであるDSM-Ⅳにおいて、慣れ親しんだ環境からの決別、親密な友人や遊び仲間との別れ、顔見知りの近隣の消失、新しい環境への適応、言葉の壁などはいずれも軽度のストレスとして定義されている。思春期以降の青少年には恋人との別れという中程度のストレスがあるかもしれない。しかし、いずれにしろ、子供たちは軽度以上のストレスの加算された結果として中程度以上の心理的負荷を抱えて転地することになる。ストレスに対して人はさまざまな防衛――心が傷つかないようにする工夫――を試みるものである。成人と同じく子供にとってストレスは時として大きな 心的外傷の原因となりうる。成人と異なる点は、正常な発育をしている場合でも年齢が小さいためにより原始的な、言ってみれば病的な防衛が出現しがちなことである。たとえば、「慣れ親しんだ環境から離れ、親密な友人と別れること」について、率直に心の傷を表現し両親に不満を訴えたり友人と泣きあったりするとともにさまざまな防衛をする。比較的成熟した防衛である合理化や知性化をし、「より広い世界の人々と知り合う」「寂しいのはしばらくだけ」と納得する場合もあろう。下痢をしたり熱が出たりという身体化をすることも年少の児には多いだろう。ときには急に子供っぽくなったりそれまでなかった指シャブリや爪噛みの習慣が出現したりすることもあろう。さらに、反動形成や投影、逆転といったいささか病的な防� ��となることもありうる。つまり、友人と別れるのがつらい場合、実際はその友人がよくない友人だったと訴えたり、友人が寂しがって一緒に来ると言っているなど大人からみると嘘ととれることを言い出したり、逆に友人を些細なことでひどく憎み始めたりするような防衛である。この場合は外界について子供が考えていることが事実と噛み合わなくなってくるのでしばしば病的な精神状態を呈してくる。従来は子供には大人のような「抑うつ」や「神経症的反応」はおこらないとされていたが、近年では大人に起こる精神症状は頻度こそ異なるものの基本的にすべて存在するであろうという立場を精神科医はとりつつある。その上に発達障害や学習障害など年齢特有の精神医学的問題がある。

大人たちは海外赴任の心理的負荷を能動的に選択したが、子供たちは海外転地という心理的負荷をその養育者によって否応なく与えられる。この点で大人は子供の心理的負荷の軽減と理解、海外での適応に援助する責任があろう。

海外での適応

実際に海外に転地した場合、子供たちはさまざまな形の適応を試みる。およそ正常な適応を同化型、疎外型、境界型、統合型の 4つに分けて説明する(表1)。個々人の適応ははっきりとこの4型に分かれる場合もあるし、また、はっきりと分類できない場合もある。

第1に同化型は、現地の行動規範や文化の枠組みを内在化(自分自身のものとして取り込むこと)し、それに基づいて行動している群である。同化型の子供たちは、比較的長期に滞在し現地の言葉にも堪能で、いわば現地の文化を異文化ではなく自分自身の文化として感じている。欧米など先進国に比較的幼少時から長期に滞在し、教育の大部分を現地の教育システムで受けた子供にこの型が多い。家族も現地文化に肯定的で現地同化を心がけ、養育者も異文化接触度が高い。ホームパーティーにも現地の人が参加する家庭である。

2012年4月4日水曜日

アナログ・サウンド・ラボはアナログ・レコードが聴けるお店です!


DP-47Fは豪華な鏡面仕上げの大形木製キャビネットに重厚で大形のターンテーブルと、アーム感度に優れた無接触電子サーボトーンアームを搭載し新開発MC形カートリッジを標準装備しました。 回転系はDENON独自の磁気記録検出によるスピードサーボに、クオーツPLLサーボを加えた、高い回転精度を誇り、また操作系は全て前面操作のフェザータッチボタンを採用し正確かつ敏速に動作します。

デンオンプレーヤー、カートリッジの最新技術を重厚なキャビネットでコンビネーション

【DP-47Fの3大特長】

2012年4月2日月曜日

クリスマス・ラブ | クリスマス・シンボルの意味




  クリスマス・シンボル

 クリスマスの時期は、キリスト教が広まる以前のヨーロッパにおいては冬至を祝うときでした。また、寒い季節にあって生き生きとした色をつけている常緑樹は、強い命の象徴とされていました。

 キリスト教が次第に伝わっていくにつれ、クリスチャンはそのような地元の習慣のいくつかをキリスト教的な意味合いをこめて取り入れてきました。

 ここで紹介するのは、そのようなクリスマス・シンボルの由来や意味です。本来の意味を知りつつクリスマス・シンボルを見るならば、今年のクリスマスは、きっと今までとは違った輝きを持つことでしょう!


  クリスマスツリー

 クリスマスになれば、あちこちで見かけるクリスマスツリー。その由来は8世紀のドイツにさかのぼると言われています。当時のドイツには、ドルイド教団員(キリスト教に改宗する以前の古代ケルト族の僧・妖術師・詩人・裁判官など)と呼ばれる人たちがいました。彼らはオーク(木)を崇拝し、幼児犠牲を捧げていました。伝説によると、イングランドからの伝道者であるボニファティウスがそれを止めようとしてオークを切り倒したときに一本のモミの若木に関わる奇跡が起こったため、それを記念するためにドイツではモミの木をクリスマスに植えるようになったということです。

2012年3月31日土曜日

Useful English Phrases


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