2012年5月17日木曜日

軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - 湾岸戦争



湾岸戦争はなぜ起こったのか?

イラン・イラク戦争後、イラクは巨大な負債を背負い込むことになった。
そしてイラクは湾岸の首長国に負債の帳消しをもとめた。
もうひとつ、イラクが石油価格の上昇を求めたのに対し、
アラブ首長国連邦やクウェートが石油の増産を続けたのでイラクの
不満が高まった。
戦後イランの再建が遅々として進まなかったのに対し、イラクに
対する兵器輸出が止まらなかったので中東でイラクの軍事力が
突出し、バランスが崩れてしまった。
こういう複合的な理由でイラクのクウェート侵攻が起こる。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:9)

クウェート侵攻の後、国連軍の組織化が図られたが、当時は冷戦の残滓が
あり、ソ連、中国の拒否権によって不可能と見られた。そこで多国籍軍
の編成となり、約半年かけて世界の(西側中心)の軍隊が湾岸に大軍を
集結させた。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:10)

アメリカは軍事面だけでなく外交面でも精力的に動きました。
イラク非難決議を国連で成立させるだけでなく、
世界各国にサウジアラビアへの派兵を呼びかけ、
結局28カ国計70万の大軍を集める事に成功します。
ブッシュ政権が特に気を使ったのはアラブ諸国に
派兵させる事でした。それによってフセインから
アラブ民族主義という「錦の御旗」を奪う必要があったのです。
「アラブの代表としてアメリカ帝国主義に挑戦する英雄」
というイメージをフセインに対してアラブの民衆がいだくと
マズイからです。
エジプトとシリアが多国籍軍に参加した事で
フセインの「リンケージ論」は役に立たなくなりました。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:22)

クウェート自体、本来イラク領だと思っているイラクの立場はどうよ?

イラクとクウェートの国境線を決めたのは英国ですが、
クウェートがイラク領なら、トルコもイラク北部のモースルなどの
油田地帯を取り戻す権利があるということになります。
(トルコとイラクの国境線も英国が決めたものなので)

(世界史板,湾岸戦争を教えて:14)

「クウェートが欧米列強によって人工的に作られた国家だ」
というけど、それをいうならイラクもまたそうなんだよね。
イラク北部はクルド人やトルコ人が住んでいるけど、
1923年のローザンヌ条約でイギリスが油田地域の利権を
確保するためにこの地域をトルコから分離してイラクを
委任統治領として維持したから。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:57)

第一次世界大戦でオスマントルコは崩壊し、現イラク・クウェートの地域は
イギリスの委任統治領となりました。1931年イラク・クウェート地域は
イラクとして独立しますが
クウェート地域は事実上まだイギリスの統治下にありました。
1961年、イギリスはヘドウィンの酋長を傀儡の王として
クウェートを独立させます。
イラクの油田地帯と、採掘された石油を運ぶための港湾を
確保するための動きでした。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:31)

湾岸戦争を英語ではなんて言うのですか?

細分して、最初の防備、攻撃態勢構築のDesert Shield作戦と、
後半の攻撃部分、Desert Storm作戦に分かれます。

Gulf Warです。

湾岸の時はちゃんと宣戦布告手続きを踏んだと記憶してるんだけど、ちゃうの?

国連の秩序下では戦争と言うものは法的に存在しません。ですから『宣戦布告』は在り得ません。
ですが憲章51条に基づき、個別的及び集団的自衛権が認められています。(武力を用いての国家の防衛と考えて構いません)

自衛権の持つ要素を簡単に説明すれば、脅威が現実に迫っており、脅威のもととなっている国家(等)が、
自衛権を発動しようとしている国家に、全くの不正不法の行為を強要しようと意図している時、
自国を防衛するため、一定の制限のもと(相手側の不法行為によって生じた損害や実際的に想定される
軍事力の脅威に応じて対抗手段を採る限りは『自衛権』ですが、それを逸脱すれば『自衛権』とは見なせなくなります)、
軍事的手段などで対抗措置をとる事が可能です。
(国連憲章では実際に『武力攻撃』が発生『した』場合のみ自衛権を行使する事が
可能と定められています。よってイスラエルの『先制的自衛権』は問題ありです)

湾岸戦争時は、90年8月2日以来の安保理決議を履行するよう(8月2日以前の状態を回復するよう)に安保理決議678で勧告し、
91年1月17日までその勧告が履行されない場合は、クウェートとその同盟国(つまり多国籍軍)に、
この問題に関する諸決議を解決するための必要なあらゆる措置をとる事を認めています。
(軍事力による解決を意味します)

ですから、湾岸戦争の場合は安保理のお墨付きを得た『集団的自衛権』の行使と見なすべき性質のものでしょう。

湾岸戦争での実際のM1エイブラムスの被害はどれくらいあったのでしょうか?

合計の損害は18両。そのうちイラク軍戦車に撃破されたのは4両で、
これは1000m以内の近距離で側面から撃ちこまれたもの。
ちなみに5両は地雷による損害で、残りの9両は同士撃ちによるもの。
死者は1名もでなかったそうです。


湾岸戦争におけるイラク軍の損害は?

人的損害:33万6000人中、死者1万5000~2万2000人、負傷者空爆だけで2万数千人、捕虜8万6000人、逃亡10万人以上

海軍:187隻中、143隻を喪失。対艦攻撃能力を持つ高速ミサイル艇は13隻全て撃沈。
空軍:724機中403機を喪失。(イランへの退避・捕獲を含む)。一線級の全天候戦闘機は159機中101機を喪失。
陸軍:戦車5800両中2633両、装甲車1万1200両中1668両、野砲3850門中2196門をそれぞれ喪失。

ソースは例によって例のごとく河津幸英著「軍事解説 湾岸戦争とイラク戦争」河津幸英(アリアドネ企画)なので
米軍の見解であることには注意されたし。

日本が湾岸戦争時に多国籍軍(実質的にはアメリカ軍?)に提供したン百億ドルの戦費ってのは結局日本に戻って来る事はないのでしょうか?

貸したお金ではなくあげたお金なので戻ってくることは
未来永劫無いか


湾岸戦争後、油田消火のためアイルランドがジェット戦闘機エンジン搭載の消防車を派遣しましたが何の戦闘機のエンジンを使ったのですか?

確かマジャール(ハンガリー)で余剰になった、MiG-21のエンジンだったかと
記憶しています。

(55:眠い人 ◆gQikaJHtf2)


ナイアガラ·フォールズオンタリオ州の新聞

C・ダグラス・ラミスの「憲法と戦争」に

「(湾岸)戦争が短期間に終わったのは米国空軍の恐ろしい攻撃の前にイラク軍が戦意を喪失したからではなく、
そもそもイラク軍が戦おうとしなかったから」だという。
「戦っても何も得るものが無かったし(大統領はすでに、喜んでクウェートからの撤退交渉に応じると明言していた)、
勝つ見込みも、命を捨てるべき大儀も無かったから、兵士たちは機会さえあれば逃亡して軍に対する叛意を示した。
この分析が正しいとすればイラク兵の反抗心のおかげで両陣営の死傷者数が激減した事になる」

つう記述があったのですがフセインはクウェートからの撤退をしていたのですか?
この本気化爆弾を化学兵器と書いてあったり、カンボジアPKOの自衛隊を中傷したり、九条マンセーだったりしていて信じがたいのですが・・・


(大統領はすでに、喜んでクウェートからの撤退交渉に応じると明言していた)

そもそも交渉の前提が「イスラエルのパレスチナからの撤退」など非現実なもので、
単なるポーズです。


クウェートからの撤退をしていたのですか?

それどころかクウェートを自国に併合した上、在留外国人を人質にした「人間の盾」
作戦を決行して国際社会の非難を浴び、国連決議で勧告された撤退にも応じなかっ
たため、武力行使を容認する国連決議が採択される事となりました。
で、砂漠の盾作戦により「クウェート領内に集結したイラク軍」が大打撃を受けてます
ので、撤退なぞしていなかった事は明白です。

湾岸戦争の時、なぜアメリカを始めとする多国籍群は、イラクの首都バグダッドへ侵攻し、フセイン政権を倒さなかったのでしょうか?

あの時にフセイン政権を倒しておけば、再びイラク戦争などする必要は無かったのではないかと思うのですが…

停戦発効時の状況
イラク南部ナシリヤ郊外のタリル航空基地までは進撃したものの、
バスラ郊外やサフワンは休戦までに占領するに至らず。休戦会談の場としてサフワンを
指定しておきながら占領し終えていないのに気づき慌てて部隊を動かしている。

当時はイラク軍の一部がフセイン政権に反旗を翻し、クーデターで打倒するのでは
という見方も強かった。

また、イラク占領のコストは極めて膨大であるという見解を抱いている者も政権上層部に
いたようだ。

実際に、湾岸戦争直後、イラク南部ではシーア派がバスラを始めとする各都市で
反乱を起こしているし、その後1990年代半ばにはフセインの親族がクーデターに失敗し
外国に亡命(後に戻り処刑されている)したこともあった。

イラク戦争や長期に及んだサザンウォッチ、ノーザンウォッチ作戦(飛行禁止区域の偵察と制空)などに
時折の航空爆撃(デザートフォックス)などを振り返れば湾岸戦争のときにもっと異なる手立てが
あったのではという疑問は当然あるが、しかし、イラクが今でも昔もイランに対する中東アラブ
産油諸国の防波堤であることは変わらない。

まず、国連決議をどう解釈しても
イラク本土進攻を肯定する解釈とはならなかった。
次にアメリカ内部には、
放っておいてもじきにフセイン政権は倒れるだろうという楽観論があった。
第3にアメリカは、仮にイラクが崩壊した場合、
米軍が長期駐留しなければならなくなることを嫌った。
第4にアメリカは、
イラク崩壊によってイラク南部に我が国の影響が増大したり、
クルド分離独立運動が盛んになって
トルコにそれが波及することを恐れた。

(263:イラン前国防相 ◆2ahDXUlKbw)

湾岸戦争時のイラク軍戦車の損耗状況(クウェート戦域内)

クウェート戦域内のイラク軍戦車:4280両
損耗:総計3847両
   空爆によるもの1685両
   地上戦によるもの2162両

ソース:陸戦学会発行「湾岸戦争」

あれだけの徹底した空爆にもかかわらず、地上戦における損耗の方が多い。

(湾岸戦争10年目の総括:6)


米軍の技術があってもスカッドの移動発射機を発見するのはほぼ不可能なのでしょうか?

公式には移動式のスカッドミサイルを1台も破壊できていないというのは大問題だと思います。
当初発表されていたサーマルイメージは実際はタンクローリーだったと国防総省も認めていますし。

 確かに、米軍もその結果に深刻なショックを受けた。これが
米国を欺瞞を突破できる偵察衛星の開発と、移動目標が逃げる
前に撃破できる手段の追求に向かわせたわけだ。

 具体的にはミサイルを発射した移動式発射台(TEL:Transporter
Elector Launcher)を、その場を立ち去るまでの15分ほどの間に
発見、破壊するという目標を立てている。イスラエルも同じような
目標で開発を行ってるね。

しかし、この程度ではダミーをもう少し精巧に作れば(具体的には、ちょっとだけ飛ぶ偽弾道弾を使うとか)くぐられてしまう。

イヤ、目標は立ててるんだけど、なかなかね(^^;
あとはコソボの戦訓とかで、カモフラージュや林の中に
隠れた車両を、マイクロ波を始め多種のセンサーを統合
して発見する手段の配備前実験中。でもとにかく高く
つくのよお。

シュワルツコフはハイテクで移動式スカッドを発見、捕捉出来ると信じて
特殊部隊による作戦を軽視したそうだ。それで奮起したSASやグリン・ベレーは
存在意義を示そうと戦線後方に侵入し、直接攻撃やパスファインダー役として
スカッド狩りで多大な貢献を残しているんだよね。
この手の作戦でもハイ・ローミックスは重要かと思われ。

(湾岸戦争10年目の総括:37-42)


A-10はどれぐらいの戦果を挙げたのか?

フライトシム『Jane's USAF』のマニュアル転載

空対地攻撃機の中で最も大きな功績を上げたのは、紛れも無くA10
サンダーボルト2である。空軍の作戦のわずか30%にしか参加して
いないにもかかわらず、損失が確認されているイラク軍装備の半分
は、A10が破壊したものであり、空軍が使用したマーベリック
誘導ミサイルは、ほぼすべてA10が発射したものである。

柔軟性と機動性を兼ね備えたこのA10は、8000回を超える出撃を行い
昼間のスカッドハンターとして活躍した。


小児肥満症の基礎戦略計画

 A-10は地上の戦闘車両の攻撃から、ワイルドウィーゼルと組んでSAMの破壊と
大車輪の活躍だった。同様の任務が可能であった他の航空機との大きな違いは
2点。目標付近での滞空時間が圧倒的に長く、比較的低速であった為に近接航空
支援には最適であった。
 もう1点はその打たれ強さ。電子機器を満載したF-16ではわずかな損害により
任務に支障がでたり墜落の危険があるが、分厚い装甲をほどこし被弾時のことも
考えて設計されているエンジンを積んだA-10の中にはSAMを食らって翼に大穴が
空きながらも無事に戻ってきた機体すらあった。

ただしA-10の活躍は地形による部分も多い。ヨーロッパの
森林地帯や韓国の山岳部とは違い平坦な砂漠であったために
ある程度の余裕をもって目標を確認して攻撃に移れたというのが
真相らしい。いずれにしてもA-10は宣伝以上の活躍をしたわけだ。

(湾岸戦争10年目の総括:47-61)

B-52の戦果

B-52は基地、物資集積地、陣地などを空爆した。自分の兵舎や
燃料タンク、弾薬庫が全部破壊された兵士はなかなかみじめな
もので、いくら隠し物資があっても、戦意は多いに低下し、
20-40%の兵は戦線を離脱していたとされるね。

アメリカ軍の戦果評価によると、爆撃の成果十分/成果不十分比
は、精密兵器を使用したF-117の1.4,F-15の1.0に対し、B-52
は0.7だった。評価基準にもよるわけだけど、安い爆弾を使った
割には十分な成果を上げてるんだと思う。
(Operation Desert Storm:Evaluation of the Air Campaign.
Letter Report, 06/12/97, GAO/NSIAD-97-134)
「AIRCRAFT AND MUNITION EFFECTIVENESS IN DESERT STORM」
Appendix III

(湾岸戦争10年目の総括:105)

イラク軍大統領警護隊は最精鋭部隊と言われてたのに、あっさり壊滅してしまった?

イヤ、逃げ回って生き延びたよ。戦車部隊は空爆にあっても
広い国なら、役に立たずに隠れてさえいれば、生き延びる事
が出来るという事を証明したわけだ。負けたけどね。

その後はクルド人相手に大活躍、政権維持に貢献してますね。
まともに戦って壊滅するより賢明だったかも。

(湾岸戦争10年目の総括:124,125)

T-72神の敗因は?

1.あまりにも砂漠の陣地で待機しすぎた
2.補給(交換品)が滞った、補給線が途切れていた。
3.統合的な指揮管制をするシステムが壊滅していた。
4.イラク軍は米軍の反抗は海(クウェート)とクウェート南から行われると想定していた
   故に、大統領警護隊を含む機甲部隊は、それに対応する戦略予備として配置していたが
   米英仏連合軍機甲部隊は、西方面から広い範囲をもって侵攻し、警護隊への直撃を敢行した
   (戦略的奇襲) 事実、クウェートのイラク軍司令部のユニットを用いた指揮地図には
   連合軍の第1段目の反抗は海から行われると想定され、大統領警護隊は上陸軍及び
   クウェート南部からのアラブ連合軍との衝突を遅滞戦術で対抗しながら引きずり込み
   戦略予備軍としての投入のラインが引かれていた。
5.士気が低下しすぎていた
6.戦車を援護する歩兵の絶対数が足りなかったし、士気も低下していた。
7.制空権を完全に奪われていた。

(参考文献 砂漠の勝利 ノーマンフリードマン著 ネーバル・インスティチュート・アメリカ海軍学会発行)

その4項だけれども、米軍がイラク軍の布陣を航空偵察で調べてその意図を察知し、
防御の脆弱な部分から侵攻したということなんだろうか

そうです。 故に地上戦第1段階で、海兵隊や海軍艦船をクウェート沖に近づけさせ
通信量を増やし、さも、上陸作戦が行われるような雰囲気を醸成しました。
事実、小部隊をもってクウェート陸岸近くで小規模の爆発を起こしたり(機雷爆破含む)、
クウェート近海付近を掃海したりしてますねえ。

(今こそ湾岸戦争を検証する:22,26)

T-72の対戦車戦闘の戦果は?

軍研5月号に掲載されたタワカルナ師団の戦いでは、タワカルナ機械化歩兵師団の
T-72×28両、T-62×1両、BMP-1×46両が撃破されているが、米軍も
4両のM1A1を撃破されている。

共和国親衛隊の参謀長アル・ラワイ将軍の指示の元、迂回が困難な大規模
な反斜面陣地を構築。エイブラムズが丘を越えると、丁度T-72の射程内に入
ってしまう陣地を作る。

T-72は砂漠に深く掘られた陣地に待機、砲塔のみを出して射撃。これにより
空爆の被害を最小限に抑えると共に、陸上部隊からの発見を困難に。

M1A1被害内訳

  • 砲塔と車体の継ぎ目にT-72の直撃弾を受けた車両
  • AH-64のヘルファイアATMの誤射で行動不能になった所をT-72の攻撃

を受けて弾薬庫が誘爆

  • 120mmDU弾の誤射を受けた後、砲塔後部にサガーATMが命中
  • 車体側面にT-72の125mmもしくはBMP-1の73mmHEAT弾を受けて撃破

エンジンを切ってサーマルサイトに発見されないようにしてM1A1を撃破したT-72
や、M1A1を一旦やり過ごした後、数少ないチャンスを活かして命中弾を与えた
T-72やBMP-1の逸話は、何やら二次大戦中にシャーマンと交戦した日本軍戦車
の話を思い起こさせる。

(今こそ湾岸戦争を検証する:107,353)

イラクはWWⅠみたいな防御ラインをつくったのが間違いだろ

見通しのいい砂漠でアメリカ相手ではイラクでなくても勝ち目は薄いが

最初の段階では(クウェート侵攻直後)ある意味で正攻法でした。
イラク軍前線指揮官も、そんなに長期間にわたる対峙が行われるとは思っても見なかったもので。

実際最初の米派遣軍の作戦では、クウェート南からまっすぐ、それこそ何も考えず
突っ込んでいく作戦が立案されており、それに伴う損害は二万名前後と弾き出されてました。
(実は兵力が足りなかった為、シュワルツコフが策したパフォーマンス案でしたが)

(今こそ湾岸戦争を検証する:27)


フセインはアメリカが介入するとは思ってなかったのか?

それとも引くに引けなくなったのか

いや、クウェート侵攻前、イラク在米国大使(♀)と会談し、
本国の情報が伝わっていなかった為とはいえ迂闊にも、この大使は
米国は、この地域の紛争には介入しないかのような言質を与えてしまった。
(OPECでとり決められた減産を守らなかったクウェート問題が紛争化しつつあった)

米国CIAは7月末までに、イラク軍のクウェート国境付近への移動が活発であり、
イラク軍のクウェート侵攻の可能性が98%であると結論していた(BBC放送 湾岸戦争 フセインの野望より)

引くに引けなくなったのか


大恐慌はとても長く続いた理由

最初は、減産を守らなかったクウェートを懲らしめる為
次にクウェートは元々イラクの属州である。
更に、イスラエルの脅威と理由を付けたが、アラブ世界が支持しなかった。
特にエジプトの大統領は良く動いた、フセインには「勝ち目がないから、とりあえず引き揚げて様子を見たらどうか?」と説き
米国には「この問題は、アラブ世界だけで解決したい、米国は見ているだけにして欲しい」
と、結構最初は、和平ムードだったんだけどね。 フセインが原則論から一歩も引かず
仕舞いにはエジプト大統領が「おまえは米国の手先か」と言われ、エジプト大統領はギブアップ。
フセインは読み間違えたとも言えるし、エジプトを信用し無さ過ぎたとも言える。

アジズ元外相は最終段階での米国との会談で
米国大統領からの親書を一瞥した後こういっている
「長官?これは一国の元首が、他国の元首に渡すような内容ではありません」
「この様な侮辱的な親書を、私の国の元首に伝えることなぞ出来ません」
(BBC放送 湾岸戦争 フセインの野望より)

アメリカ側はイラク軍動員の意図を
クウェートに対する脅しか、せいぜいルメイラ・ブビヤンの占領程度と見誤って
「領土問題には介入しない」(だからクウェートとの二国間交渉で問題解決してね)って言ったけど
フセインは「クウェートまるごと併合しても無問題」と脳内変換しちゃったんだと思う

(今こそ湾岸戦争を検証する:84,229)

イラクに有能な古参兵は少数居たようだけど、有能な指揮官はいなかったのか

軍研の連載記事を見ていると、イラク共和国親衛隊のアル・ラワイ将軍の
有能さが随所で表れている事が分かる。河津幸英氏の連載記事で紹介さ
れた同将軍の功績とされる事例は以下の通り。

イラン・イラク戦争でのフォア半島奪還作戦やクウェート侵攻で見せた作戦
立案能力、情報秘匿工作での手腕

多国籍軍の連日の爆撃にも拘らず、補給線を終戦まで維持した

米軍の大迂回しての側攻を探知して、即座に共和国親衛隊を展開して有力な
工兵部隊が事前に構築しておいた陣地に展開させ、1日で戦車1000両による防
御陣地を構築

反斜面陣地などの構築によってT-72の射程内に米軍部隊を引き込む
これによって、両軍の交戦距離が縮まり、米軍に同士討ちが多発する思わぬ
副産物をもたらす事になった

タワカルナ、メディナ両師団が米軍の側攻の矢面にたって、壊滅しながらも時
間を稼いだことでハンムラビ師団をはじめとする部隊の撤退を可能とした。こ
れらの部隊が温存された事で、戦後の各地の反政府放棄を鎮圧する事が可
能となった。

(今こそ湾岸戦争を検証する:109)

イラク兵は士気がすこぶる低かったの?

大半が、南部のシーア派やクルド人の貧困層出身の徴兵された
兵士で、アメリカ軍の姿を見るなり戦わずに投降したのが多かったと、
コバーン兄弟の「灰の中から サダム・フセインのイラク」という本で
書かれている。

当時は長期にわたる空爆で戦意を喪失していたとか言われていたけれど、どうなんだろうね。

コバーン兄弟の本によると、空爆以前に多国籍軍に勝てるわけが無いという
空気がイラク人全体に蔓延していたとか。
地上戦が始まったその日に、イラク兵の大半が逃亡。旅団一個がなくなった
というところもあったらしい。 

空爆の爆弾やミサイルが正確に命中するのに驚愕して
戦車や装甲車から逃げ出す兵士が多数だったそうな。
砂に埋めても戦車が吹っ飛ぶし。
それにB-52の絨毯爆撃に戦意喪失だって。
イランとの戦いでも、そんな攻撃くらったことないしな

(今こそ湾岸戦争を検証する:175-178)

イラクにおいて、クウェート侵攻はどのように決定されたのですか?

クウェート侵攻は、たしかサッダームと従兄弟のアリー・ハサン・アル=マジード、
甥のフセイン・カーミルの3人だけの会議で決めた。他の幹部には事後承認を迫った。
当初は、クウェート国境に軍を展開させて脅すという案だったのに、この無能な
従兄弟と甥が強硬論をぶちまけてそれが了承された。

クウェート侵攻自体、イラク軍の関知しないところで決定されたし。
クウェートに入ったのも共和国防衛隊であって、イラク軍では無い。
当時の国防相と参謀総長はラジオで事態を知ったというし。

(今こそ湾岸戦争を検証する:182,190)

イラク空軍は多国籍軍に対し、どういう防空計画を持っていたんだろうね?

史実じゃ、ほとんど地上に置いたまま撃破されるか飛び立つのもままならない状況だったけど、
それだけに事前にどういう想定をしていたのかが気になる

地上レーダー網で探知→地上とアドナンから管制しつつ迎撃。
攻撃機は地上戦までバンカーで温存。

実際は・・・開戦直後にバグダットの中央防空管制司令部と4箇所の防空管制司令部、
防空回線ネットワークはほぼ機能喪失。

米空軍司令官
「イラクを一つの人間と考えてください、脊髄をやられたらどうなります?目も、耳も、そして脳を」
「身動き取れなくなりますね?我々はそれを狙ったのです、F-117に依る攻撃、AH-64によるレーダーサイト攻撃」
「まずは半身不随にすることを目的としました」
シュワルツコフ
「指揮系統を徹底的に叩くことを目的にしました。 それに付随してフセイン大統領が死亡しても構いませんでした」
  検証 湾岸戦争 2 空爆開始 ハイテク兵器の威力 でのインタビューより

(今こそ湾岸戦争を検証する:194-196)

クウェートにやってきたイラク兵が当地で略奪や暴行の限りを尽くしたという話の信憑性

湾岸戦争中のNHKニュースで、妻と娘を拉致されたというクウェート人が
出てたけど、彼女らは見つかったのだろうか・・・
女性の大半が、「売春」目的でイラク兵に連れ去られた。
ちなみに、拉致されたクウェート人の半数が国境付近の砂漠に
殺害されて埋められていた。残りの半分はいまだに行方不明。

その手の話ってかなり怪しいだろ。南京大虐殺の類と一緒じゃね

戦争の最大の犠牲者は真実って言葉があるね。

つか、拉致されたクウェート人の射殺体やバアス党幹部による命令書まで
見つかってるのに、否定する根拠は無いわな。遺体の身元もすでに判明してる。
クウェートで残虐行為を働いたのは、実はパレスチナ人の民兵だったりする。
イラク兵以上に粗野で残酷だっらしい。


当時パレスチナ難民が大量に出稼ぎ労働者として働いていたんだ。
そいつらの一部が、PLOの指示でイラク軍を手引き&蜂起。
こき使われてたうっぷんを晴らしたまではいいけど後の戦局は知っての通りw
それ以降湾岸諸国にパレスチナ人をまともに受け入れる国はなくなりましたとさ。

(今こそ湾岸戦争を検証する:207-214)

イラクはフランスからどんな兵器を購入していたの?

ざっと挙げただけでも

「カリ統合式」防空システムとそれを構成する各種防空警戒レーダー、アドナン
AEW用レーダー、GCT155mm自走榴弾砲、ミラージュF1、HOT/SS-11/MILAN
対戦車ミサイル、AMX-10P歩兵戦闘車、ガゼル対戦車ヘリコプター、ピューマ
汎用ヘリ、ERC-90装甲車、ローラントSAM、シュペルエダンダール(リース)
、エグゾセ対艦ミサイル…

(今こそ湾岸戦争を検証する:279)

湾岸戦争でのイスラエルの被害

攻撃期間-6週間
攻撃回数-18回(39発)
期間中の対策費-500億円(事後を除く)
人的被害-死者 14名、負傷者 226名
     慌てて神経ガスの解毒剤を飲んで中毒症状になった者 222名
     精神障害 530名
人的被害に関しては死者、負傷者より、パニックった被害のほうが大きいw

イラクは戦闘機ではミラージュ2000を発注中だったんだよな?

ミラージュ2000が3桁揃ってたらあそこまで一方的な空中戦にならなかっただろうな

イラクはイラン・イラク戦争中からミラージュ2000の売却をフランスに
要請していたが、既に多額に上るイラク向け債権(戦費や兵器売却費
用)を抱えていたフランスは返済が滞る事を恐れてなかなかミラージュ
2000の売却に同意しなかった。

ただし、契約確定はしていないものの売却に向けた交渉は続いていた
ので、イラクがあのタイミングでクウェートに侵攻することが無ければ
90年代中頃にはミラージュ2000を調達していたのではないかと思われ
る。

とはいえ、空軍の独自裁量を殆ど許さず(許したのはイラン・イラク戦争の
戦局のきつい時だけ)、クーデター嫌疑などでしばしば幹部の大規模な粛
清を実施していたサダム・フセイン大統領が存在するのがイラク空軍にと
って最大のネックのような気もする

(今こそ湾岸戦争を検証する:356)

米国のビジョンとしてはイラクに親米政権を打ち立てることだったんだろう? フセイン政権って基盤が意外と強かったね

フセインが築き上げた治安体制が強固だったことと、
フセイン以降のイラクがどうなるか未知数だったからだと思います。
共産主義政権崩壊後のアフガニスタンみたいに分裂すればその余波が
周辺諸国に及ぶかもしれないという危惧があるのでしょう。
たとえば南部のシーア派系アラブ人が独立すれば、イランの影響力が
この地域に及ぶことになるので、サウジやクウェートはそれを
恐れているのだと思います。

イラクは宗教原理主義国家ではないし、むしろ長い目で見れば
西側との協調路線になると想定していたようだ。たとえばカダフィの
ように(強面は返上、テロ支援もやめ)。
フセインを独裁者といえば、パキスタンのムシャラフだって独裁者だった。
むしろコッチの方が独自核装備までして言うことを聞かない。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:37,41)

湾岸戦争での空戦の結果は?

イラク軍の主力戦闘機は、アメリカ軍機が中心の多国籍軍の戦闘機に
まったく歯が立たなかった。空中戦でイラク軍が撃墜された戦闘機は
33機。これに対して多国籍軍はわずか1機である。
イラク軍はすぐさま空軍の温存に戦略を転換し、作戦機の多くを防空
シェルターに避難させた。しかしシェルターは片っ端から貫通爆弾によって
爆撃されてしまい、140機以上を破壊されることになる。
苦肉の策として、イラクはかつての敵である隣国のイランへと避難させる
ことにした。
こうして、100機を超えるイラク軍機が破壊を免れてイランに脱出したが、
戦後のフセインの要求にもかかわらず、イランは機体の返還を拒否して
いるらしい。

(世界史板,湾岸戦争を教えて:86)

スカッドハンターとは?

湾岸戦争の時、アメリカ軍とイギリス軍は特殊部隊にイラク軍の
移動式弾道ミサイル発射機の捜索、破壊任務を充てた。

これは航空偵察や衛星偵察を元に「だいたいこの辺にいるはずだ」とされた
移動式ランチャーを、砂漠を歩き回りながら探して攻撃する、という
過酷な任務。

任務についていた特殊部隊員のことを「スカッドハンター」と呼ぶ。

湾岸戦争で多国籍軍兵士の同士討ちが多かった理由は?

湾岸戦争は多国籍軍の圧倒的な勝ち戦だったから、イラク軍に殺される
兵員の数が極めて少なかったために、全死者数に占める同士討ちでの
死者数の割合が高くなっただけ。

湾岸戦争で大金を拠出した日本は、全く評価されてないのですか?

米国防総省が公表した湾岸戦争の「評価書」では日本は無視されてまつ

湾岸戦争時、自衛隊がペルシャ湾で掃海した機雷はどのようなものだったのでしょうか?

湾岸で海自が掃海したのは、古式ゆかしい係維機雷が数としては多いのですが、
それに紛れるように敷設されたイタリア製の「マンタ」をいくつか掃討してます。
(「そうかいそうかい掃海艇たちの戦い」とかそんなスレタイの過去ログに自ら書き込んだのですが、
消去しちゃったので正確な数字は書けませなんだ…)
マンタの特徴は、
非常に薄い円盤型で探知しにくいことと、揚陸艦が乗り上がるような超浅深度にも仕掛けられること。
海自の掃海艇でもなかなか探知できず、座礁しかねない波打ち際に仕掛けてあったので
マンタの掃討には非常に苦労なさったようです。

係維機雷を多数トラップとして、
掃海が困難な感応機雷を本命として少数仕掛ける方式はよく想定されてます。
かつて機雷は沈黙しつつ敵を待つ「待ち」の兵器でしたが
冷戦期の北欧ではソ連対策として、攻撃的機雷も開発されていたようです。
たとえば、敵の船が上を通過したら浮上して追いかけていくのとか、小型魚雷を撃つのとか…。



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