アメリカ人になる これでいいのか、市民権取得テスト
アメリカ人になる これでいいのか、市民権取得テスト
一生アメリカに住むつもりで日本を離れたので、市民権を取得しようというのは当然のステップでした。アメリカ国民と結婚した場合、三年目にその申し込みができます。アメリカの歴史に関する口頭試問と、簡単な筆記テストがあると聞かされて、毎日のように勉強しました。
そのころにはシニア・クラークに昇格して、自分のデスクがもらえるようになっていました。フロントに立つのは、通訳が必要になったり、ピンチ・ヒッターを務めるとき程度になってました。
「ね、三権分立ってな〜んだ?」と聞くと、
「え、三権分立なんて知らないわ」
と、バイオレットが笑います。
「わたしだったらそのテスト、絶対受からないね、アメリカ人に生まれてよかった!」
なんてロリーが言ってたけど、こんなふうにオフィスの連中も、一緒になって勉強してくれたのです。
「息子の歴史の本持ってきたよ」
と、ダリーンが本を貸してくれました。ダリーンはハワイの原語でアリイといって、元貴族の家系だとみんなが言ってましたから、カメハメハ大王家の血を引いてることになります。
フォールスクリーク青少年キャンプアドレスデイビスオクラホマ州
リーダー格のロイスが、毎日、何かしら私に問題を出すようみんなに言ったおかげで、出勤するとオフィスのあっちからもこっちからも声が上がります。
「憲法十条はなに?」
「女性に選挙権を与えられたのは何年?」
「メイ・フラワーとはなんぞや」
毎朝そんな調子でした。
「市民権のテスト、受けるんだってな。しっかりやれよ」
と、ベル・ボーイの連中も支配人も、それに料理長まで応援してくれたんですね。まわりがみんないい人で、幸せでしたよ。
で、ついにそのテストの日がきました。長い列に並んでいると、
「一人だけ、日系の意地悪な試験官がいるんだって。わたし、その人に当たらないようにって祈ってるの」
だれかがそんなふうに言ってましたが、運が悪いことに、その嫌な試験官に当たっちゃいました。
むずかしい質問でさんざん攻めつけられ、たっぷり嫌味まで聞かされたそのあげく、
「だめだね、そんなんじゃ。もっと勉強して出直しておいで!」
と、追い返されてしまいました。
そのころハワイにいた日系二世は、アメリカ軍の兵隊と結婚した日本女性を、すごく軽蔑していたのです。
カリフォルニア州への方法
「あんたのハズバンドは兵隊かね」
「学生ですが……」
「それならいい」
なんて言ってました。何でそれならいいのかわからなかったけど、これはもう必ず出る質問だったようです。なかには、アメリカ兵と結婚したと勝手に決めてかかる人もいて、どうやら私の試験官もそういう一人だったようです。
生まれついての負けず嫌いですから、こんちくしょう、今度は満点取ってみせようと自分に言い聞かせ、何ヶ月かたってもう一度試験を受けました。
今度は、やさしい白人女性の試験官でした。
「ホワイト・ハウスはどこにありますか?」
「アメリカの初代大統領はだれですか?」
「アメリカの国旗は何色ですか?」
なんて、もうドテッと気が抜けるような質問ばかり。そのうえ筆記テストときたら、
「じゃあここに、アメリカの国旗は赤、白、そして青です、と書いてください」でおしまい。
あんまりばかばかしかったので、四十年たった今でも忘れられません。一国の国民になるかならないかを決めるのに、試験官によってこうも違うことにとても腹が立ちました。
翌日、アメリカ国歌を口ずさみ、手には小さなアメリカ国旗を振りながら、
あなたは学校を残すことができ、年齢
「うかったぞ〜、今日からアメリカ人だ!」
と、パレードするみたいに拍子をとってオフィスに入っていくと、
「オメデトウ、ヒロコ。あそこを見てご覧!」
と、ロイスがドアの横のカウンターを指しました。
そこには、アメリカ国旗を形どった大きなケーキが置いてあって、まわりには、同僚からのカードや三色のバルーンや花束が飾ってあったのです。
「料理長のミスター・モリが作ってくれたのよ」
ノーマが言いました。七十人分はゆうにあるケーキでしたので、ベル・ボーイやマネージャーたちにも配りました。
「ここに、ケーキがあるって聞いたんだけど?」
と、副会長でハンサムなミスター・プラマーが入ってきて、赤いバラの花を一本くれ、「おめでとう」ってささやきながら、ほっぺたにキスしてくれました。
「オウ、ヒロちゃん、おめでとう、選挙権できたね」
コロンビア大学を卒業し、英語の発音ももう完全にアメリカ人になってしまった元日本人の副支配人、ミスター・サノもやってきました。
背のたか〜いシェフの帽子をかぶった、背のひく〜いミスター・モリがオフィスに入ってきました。日本人の二世ですから広島弁の日本語が少し話せて、「オメデトネ」と喜んでくれました。
ひとりの日本女性のために、忙しいなか時間をさいてこんなに祝ってくれるなんて、アメリカ人ってなんて親切でやさしい人が多いんだろ、って感激しました。
「みなさん、モリさん、素敵なケーキありがとう、こんなこと思ってもみなかったから、び〜っくり。すっごくうれしい!」
そこでやめときゃいいのに、一言多いのが私の悪いくせで、
「でも、赤と白の縞ね、あれは十三本よ。これ、九本しかないわ。モリさんがテスト受けたらアメリカ国民になれなかったわね」って言っちゃったんです。
でも、オフィスの連中もシェフも大笑いでした。こうして私は、一九六七年の独立記念祭のちょっと後に、アメリカ国民になったのです。
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